昨日は、アメリカからお越しいただいたケネス・ルオフ氏を
ゲストにお迎えしての「ゴー宣道場」、
ルオフ氏は時差もある中で、最後まで議論を面白くする提議を
いくつも出していただき、本当にありがたく楽しい時間だった。
ルオフ氏が日本に対して感じておられる印象から、
「伝統」「反省」「宗教」
これらの言葉ひとつとっても、概念そのものを考え直す必要が
あると何度も思わされた。
言葉のなかに含まれている意味を、もっと整理・細分化して、
解釈していく作業は、ルオフ氏が何度かおっしゃっていた、
「複雑さ」を認識して理解していくことでもあった。
「宗教」については、すがる気持ちに陥ることは確かにあって
これは宗教心なんだろうなという風に思った。
ただ、私のなかに、原理主義的なもの、カルト信仰的なものに
対する違和感がずっとあるので、
「お天道様が見てるわよ、みっともないことはしちゃダメ」
というような日本的な感覚、道徳心、求道心のようなものとは
区別しているところがあり、もう少し整理してみたいという
モヤモヤが残った。
民主主義そのものも王権神授説からぶんどった宗教のような
面があるという話からは、
以前読んだ、ロベスピエール研究者の本を思い出した。
フランス人が書いた本だったけど、その本ではフランス革命を
「革命宗教」という風に言っていた。
人権宣言のあと、啓蒙思想家たちがお立ち台に立って、
「第一の崇拝対象、それは法だ」というような演説を行い、
民衆がこの思想家たちの体をべたべたと触って有難がった、
というエピソードが書かれていて、それって宗教じゃん……と
思ったのだった。
あらゆることを疑ってかかるのは、その先を思考する体力が
試されることだからすごく大変だ。
でも「ゴー宣道場」はそれができる場所だから面白いと思う。
第二部で、アメリカ在住経験のある女性の方が、海外での
日本人女性に対するイメージを覆すのが大変だという話を
実感をこめて話していて、とても興味深く聞いた。
私は、『蝶々夫人』=「アメリカの軍人さんに遊ばれて、
待ち続けたけど、捨てられて自殺した悲劇の芸者」という
大雑把すぎるイメージしか持っていなかったから、
実はきのう打ち上げのあと、気になり過ぎて、寝しなに
2時間かけて観ちゃったよ。
『蝶々夫人』は、女性の地位の低さというのももちろん現れて
いるけど、それ以前に、蝶々夫人が武士の娘であるということが
すごく重要なポイントになっている。
日本人としては、「あんな日本人女性はもういませんよ」とも
言ってしまえるのだけど、
蝶々夫人の自決の意味や背景を理解してそう言うのと、
単に過去の悲惨な犠牲者と受け取って言うのとでは、
また違っていて、それを説明するのも難しいところがある
物語だなあと思った。
次回、11月10日の「九州ゴー宣道場」は男尊女卑がテーマになる
から、つながりがありそうだ。